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アドリブ小説

高尾聡(19)は巨大なイチモツの持ち主であった。しかし、彼は中学の時に不登校になったあまりに、そのイチモツを持て余していた。ある日カップラーメンを食べながらテレビを見ていると、奇妙なことに気がついた。続く

TVのリモコンをお風呂に沈めよう

そう決め、行動に移したが奇妙なことにチャンネルがくるくる回るではないか。高尾は驚きのあまりに失禁。

仕方がなくタオルで床を拭き、下半身を着替えシャワーを浴びた

しかし、その間もチャンネルは回り続け、最終的には外国のチャンネルで止まった。高尾は英語は得意であったがネイティブの発音が聞き取れるほどではなかった

高尾はここで冷静になりコンセントを抜いたらいいと気づいた

そして実行してみるとあっけなく画面は真っ黒になった。なんだったんだ、高尾は愕然として呟き、気分を変えるために、コーラを冷蔵庫から取り出し飲んだ

高尾はパソコンに座りこのことをツィッターに書き込むと、冷静になった

高尾は今日は気ままにネットゲームをしていた。ロールプレイグゲームでファンタジー世界で戦士や魔法使いとなりモンスターと戦いレベルアップしていくものだった

このゲームは他のプレイヤーを攻撃できるタイプのゲームで高尾のキャラクターが弱い頃よく他のプレイヤーに殺されていた

この他者を攻撃するタイプのプレイヤーをPlayer Killerと呼び、PKと呼ばれ初心者からは恐れられていた。

高尾はある程度ゲームになれキャラクターが強くなると逆にこのPKを攻撃する、Player Killer Killer通称PKKとして活動していた

今日もPKの出現の通報があると瞬時に駆けつけてPKを狩っていた。

高尾はこの時たまらない快感を覚えるのだ

PKが倒されるときの叫び声にエクスタシーまで感じていた

現実では不登校後しがないアルバイトを行なっていた自分の社会への不満、恨み、憎しみ、そのはけ口となっていた。

高尾はまめに狩ったPKの名前をプロフィールに載せていた。中には賞金がかかった有名なPKも含まれていた

彼はシステムを熟知していたため不意打ちならほぼ瞬殺する方法を編み出していた

また通報がなったとき、高尾は、いつもと同じように、よくPKが出現するポイントで保存した場所へテレポートした

PKを見つけると、いつものように魔法の防御壁を簡単な魔法で剥がし、時間差で攻撃を与える魔法を唱え、詠唱に時間はかかるが最大のダメージを与える魔法を唱えると同時に時間差で爆発する手榴弾を投げつけ、回復するまもなく瞬殺する方法で攻撃した

ちょろいぜ

高尾は呟くと、トドメに攻撃スピードは遅いが最大のダメージを与える剣戟を魔法を唱えている間に振っておき、最大のダメージを一瞬にして与える方法でとどめを刺そうとした

しかし、そのPKはダメージを受けると詠唱することのできない回復魔法を唱えずに回復の薬を続けて飲み、ダメージが去ったあと回復魔法を唱えて傷を癒した

できる

高尾は呟く。体力や魔法力を使い果たした高尾のキャラクターにとって長期戦は不利でありPKはいつでもテレポートによって逃げることもできる。

逃げるだろうなと思っていた高尾だったが、なんとPKは同じ方法で高尾を攻撃するではないか

しかも手榴弾を二発使うという高等テクニックを使いこなし、高尾は瞬殺された

幽霊となったキャラクターを見て高尾は呆然とした。このゲームはキャラクターが死んでもレベルが下がるわけではなく持ち物が取られるだけだ。高尾はそれよりも精神的な屈辱感を感じていた

無敵だったはずのゲームの世界。

そこで自分の矮小さを思い知らされたのだった

ゲームをログアウトすると、高尾はコンビニ弁当を食べて屈辱感にさいなまれた

それ以来高尾はゲームを一切しなくなった

ゲームの世界も現実世界と変わらない

ゲームで強くなるくらいなら現実世界で強くなったほうがいいのではないか

と思い職業安定所に足を運んだ

続く

高尾は職安に行ったが、できそうな仕事がなかった。アルバイトを掛け持ちで二つしておりアパートはワンルームで、中規模都市では格安の三万円。食べる分には困っていなかった

たまに金がないときは親に小遣いをねだっていた

食べ物はスーパーの惣菜と炊飯したご飯。節約に節約を重ねておりスーパーの惣菜は値引き後を狙って買っていた

たまに値引きされたものには地雷があり、腹を下すこともあった

この頃**産のうなぎが格安で売っており高尾は好んで食べた。

高尾は朝はパンとコーヒーを食べ気が向いたら目玉焼きを作って食べていた

パンにはチーズをのせ、ピザソースをあらかじめ買っておきピザパンにして食べることがあった

また、日頃から野菜不足を自覚しおりトマトジュースを毎日一缶飲んでいた。

そのほか豆腐専門店の豆腐が安くて美味いことを気づいてからは、バイトの一つである新聞配達後良く買ってご飯と食べていた

納豆は子供の頃は嫌いだったが、一人暮らしをしてから、手がかからない食べ物として重宝しており食べているうちに好きになった

その他早朝のパン屋の出来立ての調理パン、卵とネギをかけたチキンラーメン、たくあん、惣菜の唐揚げなどを好んで食べていた

アルバイトは新聞配達のほか、中古の漫画古本屋の店員をしていた。他の店員とのコミニュケーションが苦手で、黙って仕事をしていることが多かった

他の店員は主に主婦、学生、中年男性の社員で構成されており、あまりコミニケーションが苦手な高尾でも、関係がフラットであり、気楽であることから、勤めることができた

月の収入は12万ほどであり、生活できるギリギリのラインだった

ネット以外何も趣味のない高尾にとっては十分だった。

高尾はコンピュータが好きであり、プログラミングでゲームを作ったりもしていた。将来の夢はゲームプログラマーであった

その頃パソコンは一部でしか使われておらず中規模の都市ではプログラマーの求人はかかっていなかった

代わりに電気工事技師の求人を見つけてきたが資格の取り方がわからなかった

高尾は書店に行き書籍を購入していろいろと調べたが、資格の書籍は高尾には難しく意味がわからなかった

このような技術職には数学が漠然と必要だと高尾は薄々気づいていた

しかし、高尾は高校を中退しており数1A程度しか勉強していなかった。

あのネットゲームの敗北から高尾は現実世界で強くなりたいと思い、まずはスキル上げだと思い、独学で数学の勉強を始めた

家では勉強に身が入らず高尾は図書館でバイトを行いながら勉強を続けた

ある日高尾は大学入学資格検定というものを知り、この資格さえあれば高校中退でも大学に行けると知った

ダメ元で受けてみるか。高尾は数学以外はほとんど無勉強だったが、受けてみることにした

高尾はその頃海外のカードゲームにもはまっており、カードゲームショップに向かってはカードを購入していた

今日も高尾聡はカードゲームショップに立ち寄るとカードを1枚買った。カードのテキストは英語で書かれており、英語の勉強にもなった。

その日は聡と同じようにカードを買いにてきている客がいた。若い男で、高尾は話しやすそうな感じがした。聡はなんとなく、話しかけて見た。

カードの話をしていると、非常に話がしっくりときて、仲良くなった。すぐに家の電話番号を教えることにした。彼は山村賢治と言い、プログラマーをしている人だった。聡はプログラマーに憧れがあったため、よく親しんだ。

仲良くなると、山村賢治は度々、智の家を尋ねた。そこで、タバコを吸いながら、仕事の愚痴を聡に聞かせた。聡は愚痴を聞くのは苦手ではなく、アルバイトしかしたことがない自分にとって、山村は雲の上のような存在であり、丁寧に話を聞き、山村を慕った。

カードゲームショップにも、まだ通っており、山村とともに、よくゲームを行った。勉強はあまり続かなかった。

山村は原付を使って移動しており、自転車しか乗ったことがない聡はバイクに憧れを持った。

そこで、近くのバイクショップによって、値段を聞くことにした。すると店長は3万円で良いという。すぐさま親に電話して、お金をもらい、買うことにした。

聡はバイクを手に入れたことにより、活動範囲が広がった。運転は怖かったが、中規模の街では特に便利であり、車と違い渋滞もないことから重宝した。

....

聡は、とりあえず、大学入試検定を受けて見ることにした。願書を取り寄せ、写真をつけて、文部省へと送った。

その後聡は大検に呆気なく受かってしまった。たまに図書館で勉強するが続かず、ほとんど無勉強だったが、寝坊して遅刻した国語の単位以外は全部受かってしまったのだ。その後フリーター生活を1年送り、もう一度大検を受けると見事受かった。聡は手ごたえのない試験に不安だった。このまま大学受験を行ってもどこも受かる大学がないのではないか。そう思い勉強に集中するため実家へ戻った。

聡は実家で個別指導の学習塾に通い、勉強が楽しかった聡は一日15時間ほど勉強を行い高校の英語と数学、化学の科目をマスターした。勉強の仕方はチャート式でひたすら問題を解く方法だった。間違った場所は復習を行い何度も何度も身に付くまで勉強を行いチャート式の本を3周するほどだった。センター試験では3科目とも8割以上とることができた。見事大学にも受かり、聡は春の暖かい陽気の中で入学式に参加して輝かしい未来の予感を感じていた。

....

しかし、現実とはそんなに甘いものではなかった。中学、高校とろくに授業を受けていない聡が大学の授業が分かるはずもなく、単位がとることが難しい理系の大学へ行ってしまった聡は授業が分からないため学校へは多数のサークルに所属して遊びに行っているさまだった。その後、中退したくなり、東北の大学に来ていた聡は何度も実家に戻ったり東北へ行ったりを繰り返していた。その都度親に考え直して大学を無事卒業してくれと言われていた。

しかし、聡はわからない授業が行われている大学へ通うのが苦痛となり実家でまた引きこもりとなってしまった。いつものように実家で食事をしていると頻繁に嘔吐をしはじめた。そして聡は親が毒を入れているのではないかと疑いだした。疑いだすと殺されるくらいならとろくにお金も持たずにバイクで家を出た。何、金なら日雇いの派遣の仕事がある。聡はフリーター時代に日雇いのバイトをしたことがあり、そう思っていた。

その日のうちに派遣会社に登録して仕事をもらい、工場の日雇いの派遣でお金を得た。日給は6000円ほどだった。寝る場所に困っていたが、街を歩いているとネットカフェが24時間空いていることを知り、毎日1500円8時間コースで寝とまりした。飲むものにも困らず漫画なども飲み放題。聡の好きなパソコンも使いたい放題だった。電源もあり日雇いの仕事の連絡をするための携帯電話も充電できた。ただ、そのころはネットカフェ難民という言葉もなくネットカフェで寝泊まりする人も少なく店員が不信に思っている様子だった。

聡は正月のお節料理の詰め合わせ、工場で事故があり血がついてしまったペットボトルの蓋を探す作業、大手酒会社のウィスキーのラベルを張るライン作業などを行っていた。しかし、2月ごろになるとめっきり仕事の募集が減り、お金に困ってきた。ネットカフェに止まるお金も無くなり、聡は夜は誰もいない競技場の屋根があるスペース、橋の下で寝ようかと考えた。

バイクで街の中を走って寝られる場所を探していると雨をしのげるスペースは大体ホームレスに押さられており、臆病な聡は寝ることができなかった。聡は寝袋があれば、どこでも寝れるなと思いマウンテンショップで寝袋を買った。かなり痛い出費だったが、どこでも寝られるというのは魅力的だった。その日なんとか日雇いの仕事にありつけると人気のない屋根があるスペースを見つけて寝袋で寝た。しかし、真冬の寒さの中では普通の寝袋では寒く、聡は寒さで何度も目が覚めてしまった。聡は冬山でもOKな値段の高い3シーズン用の寝袋を買えば良かったなと思った。そのころ、聡はホームレスが冬には昼間に公園で寝ている理由が分かった。冬の夜に外で寝ると寒さで起きてしまうのだ。いろいろバイクで探索してホームレスの生活を知った聡は、冬は昼間に寝ると段ボールと厚着だけでしのげることを知った。しかし、聡は昼間は日雇いの仕事をしており、拾い食いや物乞いをしなかった聡はホームセンターで買った毛布と寝袋で寝ることができた。そのころ困ることといえばトイレと水と物を置くスペースだった。トイレや水はコンビニで賄うことができたが物を置くスペースが困った。聡はそこらにスペースを見つけ物を隠して過ごしていた。

しかし、このような生活が続くはずもなく、聡はお金が尽きると、どうしようかと迷った。食べるものにも困りスーパーの総菜屋で持ち金の80円ではおにぎりも買えず、また、盗むことも考えなかった聡は、あっけなく実家へ戻った。母親は泣いていたが、父親は冷静だった。聡は出ていった理由は告げなかった。ちょっと自活したくなってなどと言っていた。

その後、もう一度大学へ戻ったが、そのころ聡は少しおかしくなっており、講義の申請の仕方もわからなくなっていた。もう一度実家へ帰り今度こそ辞めたいとはっきりと言った。聡はそのころ25歳は超えており、とりあえず、働きたかった。しかし、親もあきらめず、聡を禅寺に通わせたりいろいろと思いなおすようにと説得を続けていた。聡はまた嘔吐するようになった。そのころ聡はかなりおかしくなっており、白い車が自分を見張っているなどと考えて、白い車を見つけると逃げていた。ついに聡は再び家を出た。携帯電話を使っている人が自分の居場所を通報していると思い込み携帯電話を使っている人から逃げるため今度は九州地方へとバイクを進めていた。東北じゃダメだった、九州に住もう。その一心だった。聡はそのころは完全におかしくなっており、目的もなく九州地方へとバイクを走らせていた。途中携帯電話をかけている人がいると通報されていると思い、そのたびに逃げていた。九州へ着くと、夏だったため道端やその他適当なところで寝た。九州に付くと親戚を頼った。しかし、ここでもやはり食べ物に毒が入れられていると思い、すぐ目的もなくバイクで走り続けた。何日も食べておらず、意識も混濁していた。また別の親戚を頼った。ここでも、やはり食べ物には手を付けなかった。一日泊まらせてもらうと、また走って逃げようとした。すると母の姉が車でついてきて、生きるつもりはあるのか?と聞いた。その時聡は「生きたい」と言った。すると姉は聡の父親に連絡を行い、父親は聡を実家へと連れ戻した。その後父親は聡を心療内科に連れていき、精神薬を飲ませた。精神薬はすぐには効かなかった。しかし、聡は学校に戻ると普通に通学できるようになった。

....

結局大学は中退後、少しプログラマーをしたが、ろくでなしの聡にはとても続けられる仕事でもなく、退社した後、途方に暮れていると、若年者就業支援センターでホームヘルパー2級の無料講座の案内を見つけた。聡は仕事は何でもよかった。コンピュータ相手の仕事はもうこりごりだった。人相手の仕事がしたい。また何でもいいので職歴がつけたかった。ハローワークに行くと大抵の職種は職務経歴○○年と書いてあり、とにかく働いたことがないと職にすらつけない仕事ばっかりだった。資格さえあれば職に就けるかもしれない。そう思った聡はホームヘルパー2級の講座を受けた。講義中眠たくなって良く寝ていたが、周りは良く面倒を見てくれ、大学時代と違いすんなり資格が取れた。聡は誇らしかった。小学校以来初めて、まともに学校を卒業できたのだ。のちに親友となる実家の近くに住んでいる友達もできた。卒業すると、またハローワークに通い未経験でも大丈夫な特別養護老人ホームの仕事を見つけ無事職につけた。聡は人間相手の仕事が楽しくて仕方がなかった。人間といっても療養型の特別養護老人ホームであり、ほとんど意識のない人が多かったが、介護の最初の仕事としてはちょうどよかった。信条は「働かせてください」だった。そのころめっきり物語の理解もできなかった聡も「千と千尋の神隠し」は理解ができ深く感動した。

結局聡はその後介護の仕事を続け、そのおかげでローンすることができ持ち家を買い、またそのおかげで結婚もでき、途中親友がバイクの事故で亡くなることがあったが、それなりの人生を送っている。久々に会ったフリーター時代の先輩、SEの山村は小さく見えた。